週末はクソ暑くなくエエ塩梅の夏日和でした。
今回はオッサンの独断と偏見に満ちたウンチク話なので以下全スルーでOKです←
- いつ何処で何をどの画角で撮影するか撮影者の自由(意図、エゴ、以下略)
- 撮影したものを見せないかいつどの様に見せるか撮影者の自由(契約等無い場合)
- 提示されたものを見るのも見ないのも鑑賞者の自由
- 提示された写真を見る場合、どの様な印象を持つかどう感じるかどう解釈するか鑑賞者の自由
- 例えば波長450nmの光の色をある人が脳内で「青色」と認識したとして、それが他の人が脳内で認識するであろう「青色」と同一である、と確認することは不可能。*1
- 我々の多くはモノクロで世の中を見ていない。*2
という大前提をまずおさらい。
で。
撮影した画像を他人に見せるとき、なぜ目で見えもしないモノクロで見せるのか。
以下独断と偏見。
- 現場で感じた明るさ暗さを先ず伝えたい
- 明度の移り変わり(トーン)が美しいと思ったしそれを第一(無理矢理)に提示したい
- トーンと構図(配置)だけで絵を見せたい。(色は邪魔になる)
付随事項:
- 色の情報が無い故、色を強く連想させるような状況のアガリでは色情報は見る側の脳内補完に委ねられる。見せる側と見る側の共通体験による共通認識があれば同じ色イメージを持つだろうし、そうでないなら違う色イメージを持つかもしれない。*3
- 色の情報の無い新たなる世界がそこに強く在り、見る側がその世界に入り込んでしまう場合もある。見る側の色の脳内補完は必要としないアガリもある。
- 色の情報が無い故、構図(形)とトーンがまず認識されることが期待できる。次に被写体の状況や人物の表情・目線などに注意が向くことが期待できる。むしろそこを見てほしいからモノクロにする場合がある。
- 現場の空間情報を伝えやすい場合がある。背景にある悪目立ちする派手な色のブツはモノクロにすることで悪目立ちすることなく、現場での「近くにあるモノ遠くにあるモノの位置関係情報」がパッと見で伝わりやすくなる可能性がある。現場の空間配置情報が美しいと感じた場合、それを伝えるにはむしろモノクロが望ましいことがある。*4
一般論として他に
- そもそも色というものに魅力をあまり感じない。故に色を使った表現にもそれほど興味が無い。
- そもそも色が判らない(全色盲)。故にモノクロ表現を使う。
- カッコイイ。まこれは撮ってる人が勝手に思っているだけで見る人がどう思うかは見る人の自由なのは既述の通り。
以上を踏まえ、最初の写真を見ていただくと見え方変わるでしょ。
こちらとしては当然最初からそのつもりで見せています。
他人様のモノクロ見るときも当然上記事項は秒でチェックします。
オッサンて面倒臭いやろ←
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