SNOPAN PHOTOGRAPHY / BLOG

外資で未来のスマホカメラを研究開発するオッサンの戯言

主題、副題、前景、背景、点景、etc...

こまけぇこたぁGoogle先生に聞きな!

今はわからない事があればGoogle先生に聞けば良いんですよ。もっと詳しく知りたくなったら書籍を買うなり図書館に行くなり誰かに聞くなりすれば。ただしGoogle先生は「~がこんなこと言うてるで」としか答えてくれませんので、それがproperかどうかはどうやって判断するのかとかそういう面倒な話は全部省略しますw 座学なり基礎学力なりが大事なのは言うまでもありませんね。

タイトルに挙げた言葉についても同様です。検索すればわんさか出てきますし、私みたいに(幼少時に画家の先生から水彩画を習っていた時期はありましたが)単なる趣味人が語ったところで個人の見解の域を出ません。故に、自分の過去の写真を挙げながら、何を感じて伝えたくて撮ったのか、どうバランスなりフレーミグなりを選択したのかを実例を挙げていくつか説明する、というのを試みます。

いくつかの例を見てもらって、「あぁこのオッサンはこんな事に気を使いながら撮っていて、結果としてこのアガリっすか。」とか「いやこれは自分的には無いわ。」とか「これ一度試してみるかな。」「ステキ」「残念」とか、いろいろ感じていただければ幸い。

作例 -1-

Early Summer Days 2018 -29-

現場でエエなと感じたこと

  • 窓から入ってくる光と風
  • 花瓶と花
  • 洋館の雰囲気

部屋の入口は画面左側。入ると正面に花、左手に窓。壁をバックにして花を撮っても窓や風は何も写せない。部屋に入り右手奥に陣取り、窓や風に吹かれるカーテン、窓から入る光を背景にして花を撮るのが良さそう。壁バックで花の写真とか窓だけの写真とか要る?要らないね(自問自答)。ってことでさっさと立ち位置変えて撮影。洋館の雰囲気は照明の形、窓の大きさ位置や窓枠の形、花瓶の形、敷物、などから伺える…というかどこを撮ったって洋館っぽさを示す要素はあるのでフレーミングの時点では特に意識も工夫もしてない、というのが正直なところ。

モノクロにしたのは複数の理由:窓からの光にも花と同じくらい重きを置きたかったから。色が入ると花しか見てもらえない。色が入ると窓の外の景観や壁がそんなに綺麗じゃない(消極的選択)。

で、観る側としては「せっかく花が写ってるのに何でカラーにしないの?」とか思う人も沢山いると思うんですよ。(私の腕の問題かw) 音楽でもそうなんですが、発信する側の気持ちと受け取る側の好みが一致するとは限らないし、一致すればラッキーくらいなもんで。どちらの立場も自由ですから、そんなもんです。

普通に分析すれば、花が主題で窓からの光や風に吹かれるカーテンが副題だったりするのかもしれませんが、現場ではこんな風にクソ面倒臭く言語化して考えたりしないですよね。パッパッと映像だけで考えて動いて撮影ってのが多いです。

作例 -2-

pretty, but loveless / Rainy Season 11

ウチの近所にすごい臆病な白猫がおりまして、時々家の前にチョコンと居る。こちらとしてはそこを通らないと出掛けられないので通るわけですが、2mくらいまで近づくとササッと逃げてこんな風に門の内側からこちらを凝視するわけです。で、そのまま通り過ぎるとまた出てきてこちらを凝視。何もしてないのに毎度なんか悪いことをしている気分になりますw 見た目はすごい可愛いんですよ。警戒心が強いのに興味はある。見た目とのギャップが凄い。滑稽ですらある。「そんなに警戒しなくてもエエのに(苦笑)」って気持ち。それを画にしたかった。

猫が主題で、塀や柵が副題ですかね。副題の方が手前にある。今、見返すともっと引いてもよかったかな?と思います。これ猫にクローズアップしてフレーミングしたら臆病さはあまり伝わらないどころか単なる中途半端な猫の写真になると思うんです。もっともっと副題である壁と柵を多くフレームにいれて、向こうとこちらを隔てる気持ちの壁を強く出した方がよかったかな。もともと中途半端に寄った写真って嫌いなんですよね。背景が「散らかった部屋見せたくないから要らないとこ隠しちゃえ」みたいな扱いされてる写真。かと言って主題に何もかもねじ伏せるトップレベルの説得力があるかというと、別に普通に綺麗なオネーサンがいるだけとかね。秒で飽きますね。

フレーミングに関しては直球勝負、日の丸です。一番見せたいものを真ん中に置く。この場合は他には思いつかないです。

作例 -3-

will soon be summer

現場でエエなと感じたこと:

  • 美しい夕空
  • フォトジェニックなサーファー様
  • 濡れた砂浜の鏡面反射の美しさ

ひたすらにこれだけです。分析的に言えばサーファー様を点景にした風景写真(英語的にはSeascapeに分類されるんでしょうけど)ですかね。A2くらいに大きく印刷して、海辺のカフェかレストランの壁に飾ってもらうイメージ。ギラギラなのはご法度。画的にはシンプルだけどよく見ると情報量は多い…というところを目指してはいます。

これもフレーミングは日の丸だと思います。背景に関して二分割で演出してるっていうのかなこれ?よくわかりませんw

撮影時に関しては、太陽の沈む位置を把握しているか? 空(雲)は美しいか? 下面砂浜の鏡面具合は十分か? 点景(人)の配置場所はバランスがとれていて自然か? 人の様子は自然か? カメラは意識されていないか(自分の存在感は消せているか、サーファー様の邪魔になっていないか)?など。かなり気を使ってます。*1

人の動きを先読みして行動し、自分の気配は消す。
これはまた別の機会に話をしたいと思います。

作例 -4-

The girl breathed a life into dolphins.

タイル画のイルカの頭をしきりに撫でていてイルカがまるで生きているかのように見えて、その瞬間をいただきました。主題は命を吹き込まれたイルカ、副題?点景?は人間、かな。

現像のときに結構気を使いました。現場で肉眼で見て脳内変換していたときには確かにイルカは生きていたのですが、自宅でデータ見てもタイル画にしか見えなくて。タイルのトーンに手を入れて、女の子を中心にイルカに命が吹き込まれているように仕上げたつもりなのですが如何でしょうか。

イルカをフレームの下方に置いているのは、上の方が現実世界で下に行くに連れて魔法がかかる、みたいに見せたいために上を残しています→結果としてイルカは下方に。

作例 -5-

Soundscape

LIVE写真です。現場でエエなと思ったこと:

  • 演奏、パフォーマンス、お客さんの盛り上がり、全て

こういう状況だと、何を撮るか=何を捨てるか、で迷っちゃうんですよね。もちろんメンバーさんを一人ずつ収めたりフロント陣でフレーミングしたり、普通にLIVE写真としてありがちな写真もたくさん撮ったんですけど、全部入りってどうだろう…って考えてピンと来てステージ側に(お客さんにモミクチャにされながら)来て撮ったのがこのショットです。

全部入りと言いつつ、色だけがありません。LIVEが盛り上がっている状況って何で判るかって、人のうごきと表情だと思うのです。そこに注視して欲しいので色の情報をなくしました。お客さんやプレイヤーの表情、身体の動きに目が行くと思いますが、如何でしょうか。

主題副題などへの切り分けは難しいと思います。ボーカルのオネーサンに注目したらプレイヤーと客が副題に、盛り上がってる客に注目したらステージサイドが副題に。写真は引き算とか良く言われますけど、ギンギンに足し算した写真も面白いと思いませんか?

作例 -6-

Summer days -4-

現場でエエなと感じたこと:

  • 夏の光、夏の空気
  • 海の色、浜の状態(変なゴミが無い)
  • 素晴らしい点景

これもスナップです。主題は夏の海と空。たまたまいらした点景の素晴らしさに助けられている感はありますが、夏の光の「まぶしっ…」って感じ、夏の開放感、感じていただければ幸い。実にシンプルな画だと思います。どちらかと言うと、眩しいと感じるように仕上げる現像の比重が大きいかもしれないです。真っ白の空や真っ青な空では眩しいとか全く感じないですよね。

女子が主題で、海と空は背景、で主題が小さすぎじゃね?と観る人もいらっしゃると思います。もちろん自由です。女子が小さいのは、撮る人がそれを主題と思っていないからですw

フレーミングについては3分割に近いんですかね。自分でバランス良いなと思うところにすると、日の丸か2分割か3分割になっちゃいますね。写真については別に誰からも教わってないので結果としてそうなることが多いというのが正直なところです。背景に江ノ島をすこし入れてるのはわざとです。一度でも行ったことがある方なら「あぁ、あそこか。良い光きてたのね」ってわかるかな。わかって欲しいw

言語化って言うけどさ (脱線)

私の場合スナップがほぼ100%、つまり打合せや練習や演出なんか無いので現場で言語化なんかしてたら絶対間に合わない撮った後の分析として言語化して整理して次への積み上げとするのはアリだと思うんですけどね。イメージのまま瞬間で反応して組み立てて動く、撮る、という頭と身体の使い方って大事だと思うんですよね。

数学や物理の問題を解いてるときと似ている気がするんです。イチイチ言葉で考えなくて図や数式やマンガっぽい動的なイメージの連鎖で考えませんか?記録するときに初めて言葉に置き換える(面倒くせえ)…って感じ。アナログ回路や制御系設計してたときも同様で、イチイチ言葉で考えたりしないです。よね?

解釈は自由

先程の作例6で言えば、湘南の海が主題なのか女子が主題なのか観る側の自由でしょうし私はそれで良いと思っています。結果としてかみ合う人同士でつながっていくのだと思うし、違う見方を取り入れるか否かも自由ですしそこでムリに相手の価値観に合わせる必要はないと思います。

でも、主題しかない写真。これはちょっとつまんない。見ておしまい。そこに尋常じゃないくらいの魅力が溢れかえっているなら別でしょうけど。副題しかない写真(ってあるのか?)…何を撮ったのかさっぱり判らないのもアレですよね。解釈は自由ですけど、押さえておかなきゃいけないポイントみたいなのは一応あるんだと思います。こう撮れ!って一元的に言えないけど。

 

 

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*1:最近は非常に残念なことですが、夕日をバックにしてシルエットを撮るために望遠レンズ振り回しサーファー様を追いかけ回す(文字通り走り回って追いかけ回す)阿呆カメラマンが増えました。彼らには自然な写真はまず撮れないでしょうし、なによりもサーファー様の不評をかってカメラ手にしているだけで変に意識されるようになったり避けられる様になったりしないか心配です。最悪、撮影禁止になるとかね。。