SNOPAN PHOTOGRAPHY / BLOG

外資で未来のスマホカメラを研究開発するオッサンの戯言

量は質

聞き慣れない言葉かもしれませんね。

私も最初はピンと来なかったのですか
色々考えを巡らせるうちに納得するに至り。

 

私の思う「量は質」はですね、

例えば、どんな写真を撮っていても
常にある一定の質を保っていて
しかも、何でも無い事のようにポンポンとOUTPUTを出す。
同じ作品に執着して何度も使い回したりしない。
どんどん先へ進む。

中には、とんでもなく素晴らしい作品も出てくるでしょう。
あるいは素晴らしい写真ばかりかもしれません。
多くないとしても、数枚に一度は手放しで素晴らしいと思える
作品が飛び出してくる。

そういう人。

その人なりのその時点での価値観や美的感覚が成立していて
何を使い、何時、何処へ行き、何を撮るか
スキームがちゃんと成立していて、何を撮るにしても
どんな新しいアイディアを試すにしても
常に幾多の確固たるイメージへの「狙い」があって
身についた論理と技術で常にそれを「狙う、狙える」からこそ
傍から見て素敵だなと思える作品を「量産」できる。
そこが、まぐれで良い作品を出す人との決定的な違いです。

安定したクオリティでキチッと作品を創造&量産できること。
その人のOUTPUTの「量」は、その人の実力=質によって成立している。

これが、私の思う「量は質」です。

 

例えばデタラメにひたすらに数を撮っているウチに
何枚か当たりが出てくる。
これも、量は質の1面かもしれませんが
普通ならその過程で「デタラメの質」がどんどん上がってくる。

単に実践だけでなく、体系化された理屈も身に付けて行けば
デタラメがデタラメでなくなり、いつしか良作を量産するようになる。
その中から宝石のような1枚が出てきて、いずれ2枚、10枚、100枚となる。

1枚、2枚で浮かれてデタラメをデタラメのままにしていると
いわゆる「一発屋」で終わる。

 

写真に限らず、音楽でも仕事でも
素敵なOUTPUTをコンスタント(量)に出す人、それこそが実力(質)。

 

この言葉をそういう風に解釈すると
当てはまるor似たような事例が世の中にはチョイチョイあって

実に面白いです。

 

ちなみに、
収集癖の結果としての量であっても
創造的な価値が一切無くとも
それが他に類を見ない程に記録として価値(質)があるなら
=博物館級であるのなら
もはや持ち物自慢の域を超えて「量は質」になるのかもしれませんね。

 

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