SNOPAN PHOTOGRAPHY / BLOG

外資で未来のスマホカメラを研究開発するオッサンの戯言

眩しい

かろうじて今年も桜を撮ることができました。
今回、写真と本文とはあまり関係ありません。すんませんw

 

しかし、1年経つというのに一向に収まる気配がないですな…(´Д` )

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このBLOGの初回

snopan.hatenablog.com

でお話した様に、1995~2008年に運営していた掲示板やホームページのネタは主に3DCGと自作電子工作でした。

現在ではBlenderを代表とするしっかりしたフリーウエアがあるけど、当時はそれなりにちゃんとした出力を得ようとするとソフトウエアで最低10万~というご時世。3DCGに一番ハマっていた1998年頃に使っていたCPUはPentium2 333MHz、作業中は良くてワイヤーフレーム、オブジェクトが増えてくるとそれも厳しくてBOX表示のみとかw 一回のレンダリングで2~3日ぶん回すとかザラで、もっと長いことも。

 

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週末にCG仲間で西新宿の某店(オフィス街の居酒屋は週末はガラガラだった)にノートPCを持ち寄って、夕方5時から夜の11時まで居座ってビール片手にCG談義。映画の話、写真の話、新作ソフトの話、ソフトウエア開発会社の話、CMの話、レンダリングエンジンの話、Pixarの話、PCの話、etc... 話題は尽きず。その時の会話から得た知見は非常に多く、今でも役立ってます。

映画・映像における3DCGは年々凄い勢いでリアルになっていて、今や実写となんら見分けがつかないレベルにまで到達しているのは周知かと。一方、スチルカメラにおけるレンズの描写性能も開発ソフトウエアとハードウエア、製造工程の進歩により着実に完全無欠に近づいてます。

 

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3DCGは、仮想空間上に光源、背景や被写体などのオブジェクト、仮想カメラ等を配置して、計算により仮想カメラへ入射する映像を作製します。普段は全く意識してないけど我々の肉眼、網膜、脳に飛び込んでくる光の情報は無限の物理現象を経てやってくるわけで、単に光源から光が出て、物に当たって反射して、目に入ってくる、では済まないことは容易に想像できます。

  • 太陽から放射される光のスペクトル分布
  • 大気による散乱&透過によるスペクトルの変化
  • レイリー散乱&ミー散乱による光の強度&スペクトル分布の変化
  • 上記散乱面光源からの光の放射
  • オブジェクト表面の光の透過 吸収 散乱 反射の具合
    (人の肌って微視的に見ると表皮を透過して内側で拡散反射して出てくる光がある)
  • ありとあらゆるオブジェクトが散乱面光源になりお互いを照らし合っている
  • オブジェクトから目に到達するまでに大気による光の散乱 減衰 スペクトルの変化
  • まつ毛によるフレア&回折の発生、光彩による小絞りボケ、光彩の色の影響
  • 網膜と脳によるリアルタイムHDR処理

等々。これでもまだすべてを網羅している訳で無く、現実の物理現象を全て計算し尽くすことはまず不可能でしょう。違和感のないリアルな映像を計算によって作成するには膨大な計算量と時間が必要となります。

 

 

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一方、スチル写真におけるレンズは、諸々の進歩によりあらゆる収差が減り、コーティングの進化によってフレアもゴーストも減り続けています。上記でいう「まつ毛による・・・」の項を消していく方向性ですね。故に、映画における3人称視点の映像としては優秀になり、一人称視点の映像としては現実の肉眼視と乖離していき、肉眼では見えない何か違う新しい目で見た何かになりつつある。客観指標の一つである数値性能の改善を積み重ねることはこの方向性にならざるを得ない。

 

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元々不完全さが存在し無い、現実にはあり得ない (故にチープに感じた) 映像だった3DCGがありとあらゆる不完全さを計算しつくして「リアル」を目指し、元々は不完全に現実を写すはずだった写真機材がありとあらゆる不完全さを取り除いてアガリを「肉眼視とかけはなれた新しい何か」に変えて行く。(光がレンズに到達するまでの物理現象はリアルそのものですが)

ここに興味深い「アプローチの交差」があると思うんですよ。

 

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逆光気味のとき、特に太陽光直射に近い場合に感じる「眩しい」という感覚は、人間である以上は目を細めた際のまつ毛によるフレア&回折の映像とセットになっているはず。現象としては似て非なるものですがレンズによるフレアゴーストを上手に利用して「眩しい」を感じさせる演出として利用できる。画面内に太陽がいるにもかかわらずフレアもゴーストも全くない映像は現実離れ (少なくとも肉眼視による一人称映像とはかけ離れている) していて、一種CGとかお絵かきの様でもあるように感じるのはよくある話。青い均一な空にオレンジや白い丸がポツンと描かれていても、幼稚園児のお絵描きじゃあるまいし、眩しさなんぞこれっぽっちも感じない訳ですよ。スマホ写真とかBSIセンサーで撮られた写真で散見しますけどね。

 

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天気の良い午後、さんさんと照り付ける眩しい太陽から逆光気味に照らされ目を細めずにはいられない状況下で、メイン被写体の輪郭が浮かび上がり、被写体の向こうがゆらゆらと陽炎のように揺れる様、これを超高性能レンズでくっきりはっきりスッキリ撮る。結果としてフレアもゴーストもゼロでクリアなアガリが得られる。

それを第三者が見た時に、はたして「目を細めずにはいられない眩しい状況」が伝わるか? 眩しいと感じてもらわなくてOKで違う何かを見せたいのか?前処理(わざとフレアぽいアガリになるようにカメラを構える向きをコントロールする)や後処理(スッキリRAWデータへフレアっぽいニュアンスを足すべく現像&レタッチ)するのか?しないのか?

ということを常々意識しながら写真撮ってると、「眩しい」ってキーワードひとつ考えてみても客観数値指標で測ることのできる性能向上は撮影者の意思表現を100%手助けするものとは限らない、と言えると思うわけですよ。より多くの選択肢を与える、と言うことはできると思うんですけどね。つまり自分で考えて選択しないと。フレアの出ないレンズに細工してフレアを出すことはできますが、逆は不可能、撮影条件を制限するしか手がありません。

 

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自分は眩しかった現場の眩しさは割と伝えたい派。現場の状況よりも機材の+αキャラが面白くてそれによる新しい何かを愉しんで勝手に見せたいように見せる事も多々あるけど。今更言わんでも判るかw

 

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