SNOPAN PHOTOGRAPHY / BLOG

外資で未来のスマホカメラを研究開発するオッサンの戯言

2020Q4

例のウイルスは勢いが衰えるどころかますます蔓延している昨今、皆様お元気でしょうか。私自身は仕事も順調、契約年収もガツンとUPしましたし、より一層カメラとレンズ道楽に万進していきたい所存。

 

Their season

 

さてQ4ということは今年の〆ですので、この一年で見てきたカメラレンズ業界の変化と以前より常々思っていたことを絡めてつらつらと。

 

先にオーディオの話をしましょうか。

80年代にCDが世に出回って以降、音楽の記録媒体が急激にデジタルへ移行した史実は、すでに周知かと思います。Wikiなどで見ていただければ詳細経緯は明解。最初の10年くらい、CDの音質に関しては散々な言われようだったのが、90年代に入るころにはデジタル録音であってもアナログ回路の重要性、電源の重要性、当然ながらデジタル信号処理技術の重要性など、要素技術の再確認&再検討&発展によってかなり改善され、同時にBitRateの限界も見え始め、「本当にHiFi(高忠実)であることとはどういうことなのか」という事や「好ましい音とHiFiであることはどうやら別の事象である」という事が理解されるようになったように思います。個人的には市販CDの音が変わったなと思うのは90~93年くらいでしょうかね。

 

Foliage season -5-

 

私ら世代になじみ深い60~70年代の音楽は、当時の録音機材がHiFiからは全くほど遠いものであったのにもかかわらず、とても印象深いものに仕上がっている(ように聴こえる)のは単に刷り込みによるものだとは思いますが、「デジタル録音再生技術によって低コストで一定水準までのHiFi化が容易になった」技術がそれを代替するものかどうか?というのはちょっとベクトルの違う話だね、と皆が気づいたように見えます。

その後、デジタル録音&再生技術をコンシューマ市場に送り出す側は、「録音再生におけるアナログ環境特有の音の変化をデジタル技術で模倣したらどうだろう?」という方向に走り始めました。過去の銘機をSimulateしたプラグインが数多く出回り始めたのも、90年代中頃からだったと記憶しています。

つまり、HiFi化に必要な技術は単なる必要技術要素の一つでしかない、必要条件であって十分条件になり得ない。別途、人が心地よいと思う「何か」を技術として実装しなければならない。

当然、そのためには「何か」を技術的に分析し、再考し、理解し、再構成しなくてはならない。

 

Foliage season -3-

 

余談ですが、エレキベースやシンセサイザーなど、アンプによって増幅しスピーカーから再生するまでは音として存在しない楽器についてのHiFi、を語るのはとても難しくてですね。 「高忠実である」ということは忠実になる元の存在が無いといけないわけなのですが、上記の楽器にはその基準元がありません。一方でバイオリンやピアノ、アコースティックギターなどは確固たる元の音が存在します。これは語るに優しい世界ですが、それであっても話は単純ではない。

プレイヤーは原音がどれだけ荒々しいモノなのかよく知っているわけですよ。バイオリンはギーギー煩い、ピアノはハンマーが弦を叩く打撃音やペダルのメカ音を聴いているし、ギタリストは指が弦をこするスクラッチ音や服がボディを擦る音を聴いています。トランぺッターはキーを押すメカ音を聴いています。ドラムに至っては、プレイヤーの耳元で聴いている生音と録音物とは、天と地ほどもかけ離れた音です。それらを録音再生することはHiFiの一つなのでしょうが聴きたいですか?実際、上記の音がふんだんに録音されている音楽ってあまり無い(時々あります)と思います。

つまり、世の中で出回っているHiFiと呼ばれている録音物であっても、聴く側が聴きたいように録音されているわけですよ。私に究極のHiFi音楽録音再生って何ですか?と聞いてきたら答えは非常に簡単でして、「自分で楽器弾けや」って話です。

再生側でHiFiを突き詰めると、録音物の良し悪し、あるいは好き嫌いがはっきり聴こえるようになります。当然ですね。音の悪いCDは音が悪く聞こえるのがHiFi再生です。

現在のデジタル録音環境再生環境は、この延長にあります。何かしらアナログ機材の挙動を模倣したプライグインを何も使わずに録音、MIX、マスタリングされた音楽制作物って完全に少数派と思います。つまり、だれも結果としてHiFiなど欲していなかった訳でw ただし、要素技術としてHiFiを目指す過程において、多くの技術要素が成熟したことは言うまでも無いですし、制作サイドもそれらの技術を用いて、心地よい音を「捻出」して制作がんばっているわけです。

 

Foliage season -4-

 

さて、カメラレンズの世界に戻って話をします。

音楽から20年ほど遅れてデジタル製品が普及し始めました。そこから20年ほど経過し、この2年くらいでようやくHiFiと言えるカメラやレンズが市場に出回りだした感がありますね。何度も言いますがHiFiであることは単なる要素技術の一つでしか無い。技術の初期~成熟段階ではエンジニアは取り憑かれたようにHiFiを目指すのですが、それは要素技術として必要だから、短期目標であっても長期目標ではない。

 

Trial Shooting 3

 

問題なのは、メーカーの広報などがここをよく理解せず、HiFiであることが最終目標であるかの如く、高い数値性能を大々的に全面的に推し出して宣伝する姿勢でしょうかね。まあ、出来たもんは嬉しいでしょうし宣伝したくもなるでしょうけども。本来ならば、その優れた要素技術でもって「こんなことができるようになりました、あんなことができるようになりました」と、ぶっちぎりの作例を大量に魅せつけるべきなんだと思うのです。

世界的に有名な写真家さんに作例を依頼し ある程度のボリュームでもって積極的に公開しているところは ハイブランド、あるいはハイブランドを目指しているであろうメーカーばかりで、コンシューマー(と言っても世間的には高価格ですが)市場を相手にしているカメラメーカーでやってるとこってほとんど見当たりません。フジがちょっとやってるくらい?でも彼ら「他人を不快にさせてその顔をとってストリート写真だってイキる社会の迷惑者」に声かけたりしてるんでセンスないですしねえ。。

他は

「君ら作例見ないっしょ。なんなら写真なんか載せなくても君ら買うでしょ? つか写真とか関係ないでしょ君ら?スペックで買うでしょ?」

的な姿勢が見え隠れする酷い状況。これはメーカーの作例を見れば一目瞭然でしょう。

 

Foliage season -2-

 

ぶっちゃけHiFiという要素技術を達成しなくとも、好ましい結果を出す方法はいくらでもあります。音楽の録音再生環境で言えば、よい曲を書くのに良い機材は必ずしも必要無いのと同義です。

ただ、同じく良いあるいは好ましい音楽であれば、より新しい技術でより新しい体験ができるかもしれない、という方向に切り込んで行くのが人の好奇心の在り方だと思うし、それによって音楽も映像も今までの変化が歴史上に存在した訳です。

ピアノもエレキギターもシンセもサンプラーも全て当時最先端の技術でした。これら変化を生み出した好奇心や開拓進を無くして過去回顧するのは個人レベルでは自由ですが、少なくとも技術あるいは技術を元にした結果を世に送り出す側がサボり出したらダメじゃないかなと。

 

Trial Shooting 4

 

長々と戯言宣いましたが上記を踏まえて、今年は NIKKOR Z 50mm f/1.2S に拍手を。

過去の「技術やスペックを売りにした標準レンズ」を全て陳腐化したと思います。つまらん物がつまらん様に写る。美しいものが美しくある様にそのまま写る。汚え光は汚く写り、美しい光は美しく写る。下手糞な自分の腕前がそのまま反映されて下手糞に写る。素晴らしくHiFiなレンズで、技術要素の一つの到達、商売を顧みず(顧みろよ←) 愚直に技術の礎のど真ん中にデカい柱を建てた感があります。大事なのはこの後ですがね。

大変残念なのはクソデカいこと。過去にSONYが超ド級のDAC DAS-R10 (248?次でしたっけ?のFIRフィルタをDSPを8個並列にして一気にフィルタリングしてたらしい。当時MJだったかラジオ技術だったかのインタビュー読んで驚いた) をリリースしたあと、その技術を継承してどんどん小型化したように…って訳には光学系は行かないでしょうけど。

2回りくらい小型化して性能維持できたらバカ売れするんじゃないですかね。個人的には本当に性能維持したまま2回り小型化できるなら超高価な硝材使ってもらって+10万でも買うけどね。

 

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2020-12-31、東京都のCovid-19の1日あたり新規感染者が1000人を越えたようです。

まだまだ先は長い様相ですが、皆様、充分に気を付けて、良い年をお迎えください。

 

それではまた。

春めいた頃にお会いしましょう。